tono-welcomeのブログ

アスペルガーな自分と向き合う日々、嫁さんと幸せな明日を夢見ながら、頑張る記録ブログです。

自己を知る1


今日は寒かった。
今年初めてフロントガラスが凍りました。
これからまた一段と、布団から出れない。


二度寝は気持ちがいいですよね。
二日目にして、だらしない発言をしてしまいました。


では、いざ記録(記事)へ。


以前、精神科にお世話になりました。
もちろんアスペルガーについてです。


精神科に受診に行くと、小さいころの事を聞かれます。
本来であれば、親が子供を見ているため、親がこの部分を言う方が、より詳細な診断が出るのだと思いますが。。。


この年まで、自分は普通だと信じて疑わなかった僕は、いざ診察の時も思い出しながら話をしましたが、多分ツジツマがあっていなかったり、防衛的な回答をしてしまったりしたと思います。
ちょっとパニックでした(笑)


この障害と向き合うにあたり、幼少期はかなり貴重な情報であると思います。


見つめ直す意味でも、自分はどんな人間だったかを
「客観的に見れるよう」
記録をしていきたいと思います。


僕の実家は、
父・母・祖父・祖母の家族の中で生まれました。
僕の2つ下に妹がいます。
合計6名の家族でした。


ハッキリ覚えているのは、とても甘えん坊であったことです。
母親にかなり甘やかされていたようで、
未だに  「アスハピは甘やかされてきたからな」
と言われることから、親族から見ても甘やかされていたのだと思います。
もちろんマザコンでした(笑)


また、僕は祖父がとても好きでした。
よく祖父がうつ伏せで日記を書いている中、祖父の背中をベット代わりに寝ていたのを覚えています。
田んぼにもよく行き、祖父の手伝いをするのが好きでした。


父は基本的にあまり会話はしませんでした、イメージとしては怖いとか、否定されるというイメージを
強く持っていました。
また、父は妹を可愛がっていたようで、父は妹のほうが可愛いのだとも思っていました。
※逆に妹は、母親に対して俺と同じ感情を抱いていたようです。


しかし、よく休日は公園等に連れ出してくれていて、当時では結構な録画用の機械を購入し、僕たちの小さいころをよく撮ってくれていました。


今考えれば、とても可愛がっていてくれていたんだなぁと感じます。


祖母とは、よくケンカをしました。
亡くなる前日も、軽い口論になりました。
何というか、言い方がとても引っかかってしまう感じです。


何かしらお前がやったとか、グチグチ何か文句を言ってきたりとか、
嫌いではないですが、よくケンカしましたが、翌日には何事もなかったように接していました。
しかし、祖母は一番大げさに褒めてもくれましたし、帰宅時に誰よりも一番にお帰りと言ってくれたり、おやつを作ってくれたりと、これまた今思えば可愛がってくれていたのだと思います。


妹は、とても仲良しでした。
シスコンでもありました。
※これじゃあ、嫁さん普通に苦労してしまうね。。。


これは色々と理由があると思いますが、とにかく当時は可愛いかったのです(笑)
まるで、自分の子供(言い過ぎですが)のような感覚でした。
妹は逆に、僕が甘やかしてしまったのかもしれません。


ざっと、このような家庭に生まれました。
この家族に産まれてきて、とても感謝しています。


ですが、この環境というものも、自己形成に影響が大きくあり、自己解明にとっても大きな素材となることは確実であると思います。
なぜなら、障害に関係なく、
「この家庭での価値観が、僕の価値観」でもあるからです。


アスペルガー + 実家ルール = 今の自分


↑を入力してみただけでも、パートナーはとても苦労しそうです。
しかし、単純計算で行くと


今の自分 ー 実家ルール = アスペルガー 的な要素


となるわけですから、アスペルガーと向合うためにはこちらの追及も必要だと思います。


何やら偉そうな事を述べていますが、医学的な根拠や裏付けなんてありません(涙)
ただ、こうやって文章にしていくと、何度も読み返すことができ、普段なら気づかないことに色々気づかされます。


今の自分 ー 実家ルール = アスペルガー 的な要素



なんて、記事を書きながら思いついたものです。
ひとそれぞれ、あてはまる事・はまらない事等あると思いますが、自分を知ることはきっと新しい発見がたくさんありますよ!


※これは、よく嫁さんが言っている事です。
ちょっと言葉を借りました。(笑)